群馬大学医学部は1943年(昭和18年)に前橋医学専門学校として誕生した。この年に日本各地に医学専門学校が設置されている。
初代校長は東京帝国大学を昭和16年に定年退官された石原 忍先生で、初代眼科教授は岡村 清水先生(昭和18年~21年)であった。石原先生は当時の医専としては不必要なほど広い敷地を確保し、優秀な教授陣を発足当時から迎えた。広かった敷地には、現在、医学科と附属病院の他に保健学科、生体調節研究所、建設中の重粒子線センターがぎっしりと立ち並んでいる。
岡村先生の後は1946年(昭和21年)に青木 平八先生が第二代の教授に就任し、26年間教室を主宰された。青木教授時代はトラコーマ、水晶体、網膜色素変性、アレルギー性結膜炎が主な研究テーマであった。この間、昭和25年から39年まで助教授であった仁田 正雄先生は群馬大での臨床経験をもとに教科書「眼科学」(文光堂)を書かれた。
1972年(昭和47年)には清水 弘一先生が東大助教授から群大の第三代教授に就任された。清水先生は東大時代に「前房隅角図譜」と「Fluorescein Angiography」の著書があり、若くして国際的な存在であった。清水教授時代は教室の方向性は後眼部へとがらりと変わった。フルレセイン蛍光眼底造影、光凝固、眼球の血管鋳型、糖尿病網膜症、FEVR、高安病、硝子体、脈絡膜循環が主な研究テーマであった。この間、教室からは「光凝固」、「Structure of Ocular Vessel」、「糖尿病網膜症」、「レーザー光凝固」、「眼底出血」などの著書が刊行された。清水教授の26年間に、米谷新先生が埼玉医大、岡野正先生が東京医大霞ヶ浦病院の教授として転出した。
1998年(平成10年)に岸 章治先生が第四代教授に就任した。岸先生は教室生え抜きであったため、「眼底疾患の群大」という路線は踏襲された。その後、医局員が順調に増加したため、分子生物学、遺伝学、微生物の大学院生をつくり、基礎研究の幅を広げるとともに、臨床面でも、加齢黄斑変性、緑内障、角膜、涙道、斜弱、眼形成の特殊外来を整備し、すべての疾患に対応できるようにした。1997年に第1号機を購入したOCTでは新知見の発見があいつぎ、全教室員が協力して2006年に「OCT眼底診断学」を刊行した。この間、飯田知弘助教授が福島県立医大の教授として転出した。
2016年(平成28年)に秋山 英雄先生が第五代教授に就任となった。岸先生の教室運営を引き継ぎ、臨床で地域に貢献するだけでなく、最先端の研究にも力を入れているところである。